歩いて学ぶ 教会長
11月30日、「宗教文化士の集い」に参加させていただきました。年に一度、全国の宗教文化士の資格を持つ人が、研修と交流を目的に開催されており、3年ぶりに参加しました。今回の舞台は大阪。生野区にあるコリアン寺院「普賢寺」と、天王寺区真田山にある「陸軍墓地」、同区玉造の「玉造カトリック教会」と、金光教桃山教会「願いの宮」を訪問し、最後は金光教大阪センターで懇親会がありました。
宗教文化士のお世話役として、今年6月、名張市宗教者連帯会で講師にお招きした宮本要太郎先生がおられ、後半は金光教関係の施設を訪問することができました(金光教の関係者は、参加者19名のうち、宮本先生と私だけです).
普賢寺では、先の大戦で日本兵として戦い、復員した朝鮮の方々が、戦後日本国籍から朝鮮・韓国籍に戻った際、国籍条項関係のより軍人恩給が支給されなかったこと。祖国に戻ると「日本のために戦った裏切り者」扱いを受け、どちらにいっても差別を受けたという厳しい現実を学びました。また、儒教色が強い朝鮮半島では、今でも亡くなられたかたの三割が「土葬」されていることから、日本国内でごくわずかしか存在しない、「土葬が許可された墓地」の運営をされていることを知りました。普賢寺が管轄されている南山城村にある高麗寺がそのひとつで、ここに「土葬してください」とお願いに来られる方の多くが、在日ムスリム(イスラム教徒)だというのです。イスラム教では、遺体を傷つけることが許されないため、今でも土葬が主流なのですが、日本では土葬の習慣がほとんど消滅しているため、それが可能な普賢寺・高麗寺に依頼に来られ、受けておられるそうです。
土葬が現存していることに驚くとともに、改めて先祖を大切にしなければならないこと。死生観から、仏教とイスラム教が日本で結びついていることに深く感銘を受けました。
次に訪問した「真田山陸軍墓地」。私の母校(高校)の北隣に位置するにもかかわらず、初めて足を踏み入れました。ここには8000人あまりの戦没者が眠っているのですが、一番古いお墓は、戊辰戦争で没した方のものがあり、多くは日清・日露の戦没者、また、第一次大戦で捕虜になったドイツ兵のお墓までありました。風化による墓石の剥離が激しく、修復作業が進められていましたが、膨大な墓石の量に圧倒されました。
次号でも「集い」で得た中身について記したいと思います。